No Worries :⁠-⁠)

もっぱら心の掃き溜め、時々雑記。

自分と現実

自分に現実を寄せるのではなく、現実に自分を寄せる。

たぶん今はその方が上手くいく。

やりたいことの予定を確定する。

その日時まで自分のできる準備をする。

〇〇は苦手だから、とかいった自分の思い込みは手放して。

目的のために淡々とにやる。

 

今が成長期だから。

何歳だからとか関係ない。生きているうちはチャレンジできる。

 

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少ない補助金の中で暮らすために外出を控え縮こまって生きているうちに、外に出ていく事自体が大事になってしまう。

ローカルコミュニティーで無料の食事が出て、話を聞いてもらえる集まりが開催されていても、なかなかそういう人たちがそこまで出してくること自体が難しい、という話を聞いた。

 

小さな器に自分を合わせて暮らす生活。

自分も度重なる引っ越しがなければ、夫の仕事や考え方優先で幾分かの自己犠牲(求められてなかったとしても)を厭わなかったかもしれないとふと思う。

度重なる引越しのたびに形状の違う器を用意され、そこに毎度自分をフィットさせることは大変で、器が変わる度に合わせてられない!自分の好きなようにやらせて!と開き直って今に至る。

開き直ってみると、思い込みが自分の行動をコントロールしている部分が大きいことに気づいた。

 

小さな器に自分を合わせて暮らす生活。

夫の仕事都合だから、言葉が十分じゃないから、一時的にしかいないから‥

諦めることで得られる心の安定もある。

でもそれは、自分のやり方を変える、今までの自分から変わることへの不安からの逃げではないか。

自分が変わることで周りも変わる。

もしかしたら、今まで上手くいっていた関係がギクシャクするかもしれない。

それでも。

それでも進む勇気を持とう。

置かれた場所で自分らしく自分の人生を生きる。

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指針

毎年、年度末に次の年の指針のようなものを決める。

決めるというよりはふと思い浮かんで良いなと思ったものを採用している。

誰にも話さない自分だけの年間取り組み案。

今年は、昨年とんでもなく精神的に落ち込み、混乱してそこからの立ち直りの中で決めた、「心の使い方を上手にする」

まだまだ、学び途中ではあるけれど。

来年は、「自分が手に入れた情報や知識、スキルを自分のうちに留めずに、次に手渡していくこと」に決めた。

人と人の間で生きていくこと。

私自身は大したことない人間であることはそうそう変わらない。でも、自分の存在を媒体にして、周りがちょっとした化学反応を起こすように変化や安定のきっかけに慣れると嬉しい。

達成することが目的ではないので、希望は大きく!

 

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つながり

心を開いて、誠実に自分に向き合ってくれた人たちのことは、たとえそれが短い時間だったとしても覚えている。

何年も経ってその頃と似た状況になった時、その頃自分のそばにいてくれた人からたくさんのことを学んでいたことに今更気づき、それを糧にして現在の状況を乗り越えている。

なんでも話せる関係とか、どれだけ長く付き合うとか、そんなの関係ない。

今、この瞬間の誠実な心のつながりの一つ一つが、私の人生を豊かにする。

 

何度も引っ越して気づいたのは、日本でも海外でも、’この場所’で’この仲間’と’この時間”を過ごすことはいつだって”ここでしかできないこと”だということ。

お利口さんぶって、どうせ期間限定だからと一歩踏み出すことを諦めるのはもったいない。

逆に、期間限定だから何か学ばなければと躍起になるのも心が枯れる。

どこでだって自分の人生を生きてやるんだ、普通の感覚で生活してやるんだと思って、心を開いて五感を澄ませて生きていたい。

 

私の心の中には、複数の友人たちが住んでいる。現実にはもう会うことはなくても、私は何かあると友人たちを想い、友人たちなら今の自分の状況に対してなんと言うだろうか、どう行動するだろうかと問うてみる。

年上の友人たちの中には、もうこの世にいない人もいる。もしかしたら、人生の終末を送っている人もいるかもしれない。

友人たちは知っているだろうか。私は未だ彼らを想っていることを。

そしてそれは、私もまたいつか衰え人生の終末を迎えた時に、私も誰かの心の中で生きているのかもしれないというかすかな希望になっていることを。

 

全ての巡り合わせに感謝して。

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1日を終えて

 怒りに任せて書いた下書きを消す1日の終わり。

今日は夫婦1組とその友達が1人遊びに来て、遅めのランチ、他愛ない会話、アナログゲームで緩やかに楽しい時間を過ごした。

準備片付け、気遣いの疲れが過ぎ去ると、最近の、いろんなことを自分なりに深く考える時間から離れていたからか、心がフラットになっているように感じる。

時には浅い会話で和気藹々と楽しむのも、心の休息になるのかもしれない。

 

 新しい土地に引っ越してきて、人との繋がりや馴染みの場所を作ることに自分を奮い立たせた初めの半年。

尊敬できる人や魅力的な友人に出会えて、まだこの先の広がりを楽しみと思っている。

成長の螺旋階段を、初めて自分自身が登っている感覚を感じることができている。

他人には気付かれないだろうけど、小さな自分の成長の感覚。

10年も20年も前に、いいなと思ったことが気づいたら実現可能な道筋が見えるところまで来ていたり、あるいは叶っていたり。

引き寄せの法則、か。

そこに向かって、途切れなく努力したわけではないけれど、いろんな巡り合わせの中で、不器用なりに頑張って生きてきた自分への神様からのご褒美。

ありがとう。

そして、この世の中のどこか片隅で誰かの役に立てますように。

 

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表明

 背伸びしないこと、萎縮しないこと、素直であること。

真摯に生きたい。自分の大切にしていることを伝えることが、違う考え方の誰かを戸惑わせたり不快にさせたりすることもあるだろう。

今までの私は、誰かを動揺させたりすることは可能な限り避けたいと考えてきた。

それでも、そこにより良く生きるための自分なりの信念があるなら、柔らかい表現にしてI(アイ)メッセージに乗せて伝えていく勇気を持とうと思う。

 

より良く生きたいと願う人達と繋がり、一歩一歩自分の足で前に進もう。いろんな人がいろんな思いでこの世の中を生きている。一人一人の中に光を見つけて、対等な立場で、その人柄に関心を寄せて、人の間で生きていこう。

 

私の神様

私の神様は私の思考と同じではっきりした輪郭や定義を持たない。

何の道しるべも示さないし、あれはダメこれは駄目もない。ただそこに居る。

そんな神様に私はきっと10代の頃からことあるごとに「私を社会の中で使ってほしい」と願ってきた。

自分の人生に自分の足で立つことすら自信がなかった頃から。

 

最近、少し手助けが必要かなという人達が周りにいて、たまたま自分が一番手を差し伸べやすい位置にいて、私が適任なのかはわからない、でも神様が私に機会を与えてくれているのならそれに従って行動しようということがあった。

 

神様でも、宇宙でもご縁でも機会でも良いのだけれど。

 

5〜10年前にそうだったら良いなと思ったことが、形を変えて実現する。ばら撒かれた点と点が線となって繋がる。

諦め切らずに心の隅っこに置き続けた想いが日の目を見る日が来たのだとしたら、それは私の人生にとってとても重要な瞬間だ。

 

自分の経験と知識を混ぜこぜにして、使える道具に変えて今の問題に立ち向かう。

人生は毎日、学びの宝庫。不勉強な私にそっぽを向かずに、どうか神様、私を導いてください。

 

謙虚に、誠実に、そして勤勉であることを忘れないようにしよう。