感傷に浸れる桜はここにはない。
代わりにあるのは、春の訪れを告げる明るい太陽だ。
薄暗く曇りがちな長い冬が開けて太陽が力を取り戻すことに、自分の中に眠る生き物としての本能が反応し喜んでいる。
イエスの復活が、春の芽吹きの季節なのはたまたまなのか。
神の残酷で粋な計らいなのか。
ここはイエスが生まれ没した国ではないが、イースターと季節の回復の時期があまりにもリンクしている。
年の始まりは1月だけど、生き物として眠りと充電から明けるのは春だと思う。
生き物としての新たな一年をどう大切に生きようか。
密かにワクワクドキドキする小さなチャレンジをたくさんして、そして願わくば身近な人々も喜びや嬉しい驚きや楽しさの渦に巻き込みたい。