少し泣けた。
息子の成長への誇らしさと、もう幼少期のような家族の関係は過ぎ去って古き良きものとなってしまった一抹の寂しさと。
かなり早くから、私は息子が自分とは別人格の人間であることを感覚として理解していた。
だから、彼の興味に沿って興味の持ちそうなのを試してみたり、得意分野を伸ばせそうなことを取り入れようとした。
その反面、私自身への自信の欠如から、自分が息子の可能性を、私の要らぬ言動で潰してしまうのではないかと恐れ悩んだ。
心身ともに健康に、その時々に自分の好きな物が言える人であってほしいというのが願いだった。
10代後半になった彼は今、私だったら思いもつかないような選択肢を選んだり、自発的に活動に参加している。それはちょっと大袈裟だけど、自分が息子の可能性を潰してはいなかった証なのではないかと、過去の自分に大丈夫だよと教えてあげたい。
成長の安堵感と共にもう幼少期のくだらないことに一緒に一生懸命に取り組んだり笑い合ったりした日々が戻ってこないことに寂しさを感じていることに我ながら静かに驚いている。
私自身は10代後半20代前半を拗らせていたので、息子が思春期に、外部(親)からのプレッシャーで潰されないことを切望していて、これほど喜ばしいことはないはずなのに。
進路の話を父子でしている横で、私は眠気にうつらうつらしながら、映画監督の宮崎駿さんが「子どもが大人になったら何になるかって?つまんない大人になるんだよ」って言ってたのを思い出していた。
自分にとっては、2時間寒空の下で砂場掘りに付き合った日々や、何時間も掛けて自作のピタゴラスイッチを一緒に作ったり、これがしたいとそんなに主張しない息子が珍しく興味があると言った習い事探しに奔走したり、そんな一見重要ではなさそうな日々が特別で成長を間近にみられることが愛おしかったのだと思う。
子どもが幼い頃は、子どものために頑張ろうと思った。今は子どもが頑張ってるから、自分も頑張ろうと思える。
子育ては、その日その時を味わう大切さ、それでいて一地点で物事を判断せずに長い視点で取り組む大切さを教えてくれた。
少なからず私の不安な心を息子が感じ、自信を持てなさそうな息子の様子を心配した夜もあった。
でも、あまり心配せずに子どもの伸びる力を信じてドンと構えていてやるのが良いのかな、と今になると思う。
bee happy