No Worries :⁠-⁠)

もっぱら心の掃き溜め、時々雑記。

過去は消えないけど、解釈は変わる

過去の写真や動画を見直すのが昔から苦手。

それでも必要があったから今日は重い腰をあげて、パソコンに入っている過去8年分の記録をざっと確認した。

アルバムの中の写真達は、楽しそうな思い出の集合体。

それなのに私は、圧倒的に感傷的な気持ちに襲われながらそれらを眺めている。

対人緊張が強くて人とリラックスして付き合えなかった自分、笑顔の下で心は傷つき泣いていた自分、何がしたのか何が楽しいのかわからずもがいていた自分、助けを求めようにもヘルプの出し方も知らなかった自分、、

過去の楽しかったこと以上に、私は楽しい思い出と地続きにある辛さや悲しさ、苦労に惹かれてしまうようだ。

一見マイナス面に惹かれてしまう自分はそれでも、度重なる引っ越しや新しい環境の中で自分の生活を作り上げていくという作業を通して、人の優しさに触れ、目に見えないサバイバルスキルを磨いてきた。

1人で(子どもと母子だけで)新しい場所を開拓していくこと、行動の結果に心を動かしすぎないこと、自分のやりたいことを自分のやりたいようにやること。

自分が尊敬できる部分を持った人と繋がる勇気と努力と。

強くなったなと思う。

だけど強くなった自分の内面には、過去に傷付いた痕跡がしっかりと刻まれていて、普段は忘れているけれど、誰か過去の自分のように落とし穴の傍にいる人を見かけると、放っては置けない気持ちになる。

ああ、だから、傷付いて落ち込んでそこから這い上がった経験のある人ほど、時に寛容で人に優しいのだと思う。

人は見た目によらない。

ポジティブで鉄砲玉みたいな行動力のある人が、相当な気遣いで、他人へのサポートを買って出ているのを知っている。

私も、今の私を深く知らない人から見たら、適当に大雑把に楽しく生きているだけの人に見えるかもしれない。

それで、いいのだけれど。

昔、「いつも笑顔だね」と言われると私は傷付いていた。だって、せめて笑顔でいることでしか人を不快にせずに付き合う方法を知らなかったから。心で泣いていても、そのことを外には出せなかった。

この間、久しぶりに「いつも笑顔だね」って言われた。ああそうだね。笑顔でいることで、たまにお呼びしていない人が近づくこともないにはないけど、それでも、どうせなら人と楽しい嬉しい面で繋がっていたいという気持ちが強くなった。正直に自分を打ち明けられる友達や家族がいることも大きいと思う。誰も彼もにシリアスな面持ちを見せる必要はないから。

 

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